寝る前にふと思い立って20分くらいで組んだ。


 ptn.mp3


 ドラムキットで適当にリズム打ったものを、ノートはそのままドラムキットだけ差し替え。あとドラムキットやめてシンセにしてみたりとか。4つ打ち以外は全部その組み合わせ。音色の差し替えはずいぶん前からやってる手法ではあるのでいまさら実験ということもないけれども、強いて言えば手癖。最初の8小節はアタマがどこかわからんなー。

 続報。


 tres-05.mp3


 方向を見失い気味。全体にテンポを落とした。前半はチャカポコしたトイポップ風のドラムが打ちたかったんだが、いいウワモノが思いつかないので、あえてシンセパッドとの組み合わせを試行中。アンダーワールド風の後半部はとりあえずほったらかし。普通すぎるのでもっと変にしていきたい。

 ProteusVXを落としてみたところドラムキットが充実していてとても楽しいのだ。これがフリーだっていうのはOPCODE VISION以来の衝撃ではないか。そして俺は勢いに乗って久しぶりにピアノロールと睨めっこしてみたのだが、自分の無茶なフレーズを力ずくで組み合わせて無理やり曲にするスキルというか勘が鈍っているようでなかなか苦労している。そして今つくりかけで放り出しそうになっている曲にその苦労がありあり見えていて面白いのでここに貼っておく。


 tres-04.mp3


 聴き所を解説すると、ヨレたリズムのフニャフニャした音楽を作ろうとしていろいろやってみたところなかなかうまくいかず、前半は音を削りまくって骨組みだけに戻した状態で、音数の少なさゆえにダブっぽいのを狙ってるように聴こえるけれどもそういうわけでもないので注意が必要だ。そして後半にいたってはヨレたリズムはあきらめて思いっきりスクエアなミニマルに逃げ始めていて、しかもそのミニマルに変わる部分のつなぎが全然うまく行ってないところが情けなくてすばらしい。思うに冒頭から鳴っているスネアにもっとディレイをかけるとずいぶんよくなるのではという気はするのだけれども、もう1回MP3のエンコードするのが面倒なので俺はやらないのだ。この作業の再開はあるのかどうか未定だけれども、完成したらぜひアップしたい。


 しかしこうやって、サンプラー使わないでサンプリング音源と1対1で殴り合いみたいにして曲作るってのは高校時代に戻ったようでノスタルジック。あの頃はいわゆるXG音源(YAMAHAGM音源拡張規格)であるところのYAMAHAのMU-80でどこまで変な音を出すかということだけに情熱を傾けていて、バイオリンの最高音のピッチをオクターブ上げると物凄いノイズが出るとか、ドラムセットのピッチをオクターブ下げるとベチョンベチョンという物凄いウェットな金属音が出るとか、そういう数々の発見に加えてそんな音にさらにディストーションかけまくったりして、俺の青春はもっぱらそうやって変態的な音の探求に費やされていたのだ。




 山本直樹の安住の地の2巻がどこの本屋に行ってもないのでそろそろアマゾンで買おうと思っていたんだが、今日何気なく家の本棚を見ていたらそこにあった。


 さて今日も俺の話を書くか。俺の腕時計がどうにも調子が悪いのだ。とりあえずほっとくと動かないのだけれども、竜頭を動かすとたまに動きだしたりする。そういうことがあるので俺はたまに竜頭を動かしてみるのだけれども、この竜頭がまた固く、爪を立てたところでなかなか引き出せないので俺の右手の親指の爪ばかりがパイ皮のようにぽろぽろと剥けて傷んでいく。いまのところ爪の先端中央部分に少しくぼみがある程度だが、こんな暮らしを続けていればくぼみはどんどん深くなって溝になり、俺の親指は両端だけを耳状に残したウサギさんみたいな形状になっていくに違いないのだ。というかさっさと修理に出せばいいんだが俺がビックカメラの時計カウンターに行くたびに急に時計が動き出すかそうでないときは受付がすでに終わっていて、そうは問屋がおろさない感じであるのだ。でまあ行くたびにそんな具合で、時計が動き出すか受付が終わっているか、1/2の確率でどちらかであるわけなのだが、それがどちらであるかは俺が実際にビッグカメラエスカレーターを6階まで昇って時計カウンターの前まで行くまでわからないので、つまり俺が仕事を終えて大森から有楽町まで電車に揺られている間の俺の時計事情というのは「時計が急に動き出すことと時計カウンターがすでに閉まっていることが混ざっている状態」であるといえるのだ。そして俺が時計カウンターに着いた瞬間に、時計が動き出した状態、あるいは時計カウンターが閉まっている状態に変化することになっている。そういう量子力学的世界観の元に俺の親指は着々とラビタイズ(ウサギ化)されていくのだ。




 7月に行ったBunkamura原田郁子ソロに出てた異常なドラマーが外山明だったことに1ヶ月以上たってから気づいた。一音一音が全て解釈を経由して叩き出されていくようなあのドラミングに、うへぇ変態だ!と思いながら俺の耳はずっとドラムに釘付けだったのだ。それで帰って調べたらphonoliteの外山明って人だというのは判明していたのだけれども、なぜかその外山明があの外山明と結びつかないまま今に至っていた。そうか外山明か。




 Shing02がすげえとかいまさら言うと恥ずかしいので言わないでおこうと思っていたのだが、歪曲の特に後半のほうが本気で物凄いので言わざるを得ない。14曲目のストリングスの繰り返しのフレーズにユニゾンで小さく鳴ってるシンセリードが、もう絶対にここでこの音入れようっていう発想は出ないわ、これは凄いわ、って思いながら会社から帰ってきたんだがいま聴き返すともっとマクロな視点で取り上げるべきところはたくさんあると思った。結局俺がいい音楽を褒めようとすると局所的でフェティッシュな断片の話になってばかりだ。
 改めて聴くとこれすっげえなあと思うのは12か。重厚な推進力のベースラインとコーラスの組み合わせの妙なんだけど、そのコーラスが3種類くらいのフレーズが組み合わさってて、おのおの全然雰囲気が違うのな。それを組み合わせてこういう空気感作るんだ!っていう驚き。ほかにもウワーって圧倒される曲が目白押しでほんといまさらだがShing02すげえ。


 あと俺はトラック原理主義でいまのところリリックを全然聴いてないので、トラックに飽きた頃に改めて聴いて一粒で二度楽しむ予定。007は二度死ぬ予定。

 リリー・アレンを借りてきたので聴いている。たぶんアルバムが出た年の2006年の話だと思うんだけれども、当時俺はまだ蒲田に住んでいて、駅ビルにちょっとした買い物に行ったときに隣のテナントの服屋から流れてくる smile を聴いて、ああいい変メロだなあと思ったのだ。そのときは誰の曲だかぜんぜん知らなかったし調べることもしなかったのだけれども、最近なんか別の調べごとをしてるときにたまたまこの曲と再会した。




 こういう感じで、ちょっと耳にした知らない曲とあとで再会する、ということが年々増えてきている。リリー・アレンなんかは売れっ子っぽいのでまだありそうな話だけれども、最近だと Blue King Brown とか、あといろいろあった気がするんだがとっさに出てこないな、とにかくそんな感じで、昔は店のBGMでかかってる曲をよく店員にきいたりしていたんだけれども、最近はそれもしなくなってきた。あとで調べりゃわかるだろって感じで。


 原因はいろいろ考えられるんだけれども、ひとつにはたぶん検索スキルの向上。、ネットで検索するには耳で聴いた音しか情報がない状態からそれをキーワードに落とし込んでいく作業が必要なんだけれども、その辺のコツをつかんだというのはあると思う。あとどういう系統の音はどこで調べるべきかとか。
 ただそれ以上に考えられる原因として、パッと1回聴いた音をすごく覚えてるようになった、というのがある。店でかかってる曲とか試聴した曲とか、果ては夢で聴いた曲まで、なんだか知らないがずっと後まで異常に覚えている。そんでどこかでそういう曲と再会したときに、あ、これあそこでかかってたやつだ、って思い出すのだ。


 こういう自分の成長のしろとしてまったく予想していなかった能力が伸びていくのは、なんだか超能力を獲得したような感じで面白い。ただよく考えてみたらこれは、同じ曲を2回目に聴いた時に初めて発揮される能力なわけで、再会の確率を高めるのには何の役にも立ってないのだった。というかこういう記憶のおかげで再会を実感するタイミングが増えただけの話で、本当は昔から(それと気づかないだけで)同じくらい再会してたかも知れず、再会する頻度は増えてなんかないのかもしれない。それなのに店員にBGMの事をきかなくなったので、これはせっかくの出会いを無にしているだけなのかもしれない。なんだよ。




 昨日の話だけれども、クラムボン野音。あいにくの雨もものともせず、すげえいいライブだった。前のアルバムがいまいちだったので最近ちょっと冷めつつあったクラムボン熱も、また再燃という感じ。俺が昔盛んに物凄い物凄いって言ってたあの感じとはまたちょっと違うのだけれども、それは野音っていう会場のムードもあったりして、凄みだけがライブのすばらしさではないのだ。今回のはあえて一言で形容すると、嬉しい、とか。昔の曲を4つ打ちアレンジでやってたのがすげえよかったんだが、あとに何も残さず全てその場で楽しみつくしてしまった感じで、何の曲だったかすら思い出せない。ついさっき書いたことを一気に覆す俺の豪傑ぶり。

 エロサイト見るときは「ふ〜ん、なるほどね」とかつぶやきながら見ると恥ずかしくないよ。




 同じことをtwitterにも書いたけど、自分でちょっと面白かったのでここにも書いてしまう俺の浅ましさ。またはもったいない精神。あるいはいじらしさ。




 この日記は定時更新にしてやろうと思ってはてなを自動更新できるツールを探してたんだが全然見つからなくて、やっとのこと結城御大の hw.pl つうのを見つけてローカルに設置してタスク登録まで済ませた直後に AtomPub 公開の通知を見つけてムキーってなった。と思ったけど自前でスクリプト書かなくてすんだからいいか。




 知らない人のブログ見てたら、神戸に行った話が書いてあった。神戸といえば俺が学生時代によく歩いた街だ。見覚えのある店の写真が載っていて、あーこのパン屋知ってるわクロワッサンがうまいよねーそういえば友達の結婚式行ったときにここでパン買って朝食に食べたなーあの結婚式よかったしパンはうまいしあれは幸せな一日だった、とか俺はもう句読点すらおざなりになるくらいの勢いでうっとりとした顔でそのパン屋についてひとしきり思いをめぐらせ、さてとと思い直してブログを読み進めたところ、写真の店はパン屋じゃなくてビアホールだった。

 電車で隣に乗っていた30代後半くらいのサラリーマンが、はじめはDSで競馬かなんかのゲームをやっていたんだが、疲れているんだかそのうちゲームやりながら寝てしまった。うつらうつらと頭を揺らしながら寝息を立てる彼の手元の液晶では、俺が覗き込んだところによるといままさにレースの真っ最中で、彼が何かここでボタンを押したりしなければ彼の馬は負けてしまうのではないか、と俺はヒヤヒヤしながら、というのは嘘で、もっと寝ろ!もっと寝ろ!と思いながら見ていた。どうもレースは1度だけではないらしく、彼が寝ている間にレースは終了し、また次のレースが始まった。俺は2レース目の途中でこの愉快なシチュエーションにも飽きて見るのをやめてしまったので、このまま彼が眠っている間に彼のあずかり知らぬところで何レースが行われたのかはわからない。ただ、一度彼が目を覚まして少し、はっ、という顔をしたあと、しかし何十秒も経たないうちに再び向こうの世界へ引きずり込まれていくという場面があり、そのときの様子がなんとも、人間という存在のいじらしさについて思いを馳せずにいられないような、そんな味わい深いものであった。


 先週、腕時計が止まったので電池交換に行ったら、いったんカウンターに預けたあとに、電池変えなくても動きましたよ、と言って返された。それで昨日からまた時計が動かなくなっていて、今日電気屋に行ったらカウンターの前で気づいたら動いていた。これを繰り返すとそのうち電気屋に行こうと思うだけで止まった時計が動き出すのではないか、という話をパブロフの犬と関連付けて何か書こうと思ったのだが面倒になってやめた。ちなみに今見たら止まっている。


 時計が止まってると、止まってるって知ってても癖で一日何回も見てしまって、そのたびにがっかりするので非常に意気消沈したまま体温の低い一日を過ごすことができる。